大江戸猫事情

吾輩は一応猫ってやつである。
今迄長らく「人間」とかいうやつの側で生きてきたのだが、「人間」はどうも吾輩の事が好きらしい。
ただし、ちゃんとした名前はつけてもらえない。
名前もつけないままに、適当に「タマ」とか「ぽち」とか言って、人の事も知らないで「かわいい」とか言ってくる。
でもそんな馬鹿な人間どもを逆手にとって、割のいい暮らしができれば良いなあと吾輩は狙っているのである。

今日も吾輩が長屋の近くで休んでいると、小太りのブス…いや、ぽちゃっとした愛嬌のある女が近づいてきた。

およね「まあ可愛いにゃんこさんねぇ。私はおよね。よろしくね」

猫「およねか。まあ中の下ってかんじかな」

およね「まあ! なんて失礼な猫なの!? 人の顔をランク付けするなんて!」

猫「そんなこと言うけどアンタだって俺のこと、可愛いわねえ、とか言ったじゃねえか」

およね「それは褒め言葉だから良いじゃない。アンタは私のこと貶(けな)したのよ!?」

猫「え、どこが?」

およね「だって中の下ってだいぶ下じゃないのよ」

猫「そうかな? 吾輩の中ではそこそこなんだけど…」

およね「アンタはちょっと感覚がズレてるのよ。まったく猫のくせに生意気ね」

猫「なっ! 猫のくせに、って!」

およね「あ~あ、気分を害したわ。こんなクソ猫どうとでもなっちまえ」

そう言っておよねはどこかへと消えていった。
そうして少しすると、今度は綺麗な細身の女が近づいてきた。

おまつ「まあ、可愛い猫さんね」

猫「どうも」

おまつ「あなた、名前は?」

猫「名前はまだない」

おまつ「まあそうなの。じゃあ私は、漱石って呼ぶわね」

猫「あいわかった」

おまつ「ねえ、漱石。あなたは可愛い猫さんだし、一つお願いがあるんだけど…」

猫「お願い?」

おまつ「ええ。それを引き受けてくれればイワシ3匹とサンマ5匹をあげるわ」

猫「イワシ3匹!!! サンマ5匹!!!」

おまつ「どう?」

猫「やる! 吾輩やる!!」

おまつ「ふふ、嬉しいわ。じゃあこの白い粉を廻船問屋のおとっつぁんに渡してきてくれるかしら」

猫「なっ…し、白い粉!? それは一体どういう…」

おまつ「漱石は何も知らなくていいのよ」

猫「む、無理でござる! そんな危険な仕事引き受けられないでござる!」

おまつ「あら。イワシ3匹とサンマ5匹もらえるのに?」

猫「うっ!」

おまつ「しかもこの仕事がうまくいったら、更に鯛の刺身も追加してあげるわ」

猫「鯛の刺身!!! 人間ですら滅多に食べられないブツを!!?」

おまつ「そう。悪い話じゃないでしょう?」

猫「うう…でも吾輩は法律を犯すことはできない…ッ」

おまつ「なにそれ。じゃあ出来ないってこと?」

猫「うう…すまん。吾輩、無理でござる…」

おまつ「チッ、何だよ。使えねえな! 折角漱石って名前まで付けてやったってのによ、小麦粉一つ運べないとかクズかよこのクソ猫が!」

そう言って唾を吐くと、おまつはどこかへと消えていった。
そうして少しすると、今度はジェントルマンな男が近づいてきた。

しげぞう「おう、これは可愛い猫だなあ」

猫「どうも」

しげぞう「お前さんは随分と毛並みがいいけど、どこか良いとこの坊ちゃんか何かかい?」

猫「いえ。こう見えて吾輩、雑種のノラです」

しげぞう「へえ、そうかい。それじゃいっちょ、私の家に来てみないかい?」

猫「家に?」

しげぞう「ああ、そうだ。いつもこんな長屋の前にいるんじゃ飽きちまうだろう?」

猫「それは確かに…」

しげぞう「私の家に来れば、南蛮渡来の超高級キャットフードを三食食べられるぞ」

猫「なっ、南蛮渡来の!?」

しげぞう「左様。しかも仲間の猫たちと思う存分遊ぶこともできる」

猫「吾輩に仲間ができるのか…」

しげぞう「左様。好きな時に寝ていいし、好きなときに散歩にでかけるがいい。どうじゃ、良い条件だろう?」

猫「うう…行きます! 吾輩、そこに行きます!」

しげぞう「おお、良かった。じゃあさっそく私についてきてくれるかね?」

猫「はい! 因みにあなたのお宅はどのあたりにあるんですか?」

しげぞう「私の家かね? 実は日本を遠く離れた、ある離島にあるんだよ」

猫「離島?」

しげぞう「左様。まあ離島とはいっても年に10回私主催のネコファイティングを行っているので、観光客が多くて賑やかなんだ。なーに、心配することないさ」

猫「え…あの。ネコファイティングって一体…?」

しげぞう「ああ。ネコ同士でデスマッチさせる競技さ」

猫「デスマッチ!!? そんな過酷な!!!」

しげぞう「でも勝利さえすれば蟹と海老と雲丹が食べられるんだよ? どう考えたって良い条件だろう?」

猫「かかかかにいい! ええええびいい! ううううにいいい! 人間にとっても豪華な海鮮んんんん!!!」

しげぞう「つまり負けなければいいんだよ。そうだろ?」

猫「でも……すみません、ちょっと考えさせて下さい」

しげぞう「え? こんな良い条件なのに?」

猫「はい…吾輩、まだそこまでの勇気がないというか…」

しげぞう「チッ、勇気とヤル気のない猫はこれだから嫌なんだよ。だったら一生この長屋の前で腐った魚でも恵んで貰って生きていきな!」

そう言ってジェントルマンのしげぞうはどこかへと消えていった。

こうして日は暮れ、猫の一日は終わっていった。
長屋の近くで小さく丸まり、名前の無い猫はこんなことを考える。
「人間」はどうも吾輩の事が好きらしい。
ただし、ちゃんとした名前は付けてもらえないし、どうやら自分の都合の良いように吾輩のことを使いたいらしい。

いっぱいサンマが食べられたら幸せだろうなあ。
いっぱいイワシが食べられたら幸せだろうなあ。

だけど吾輩は、名前などなくても、そんな豪華な食事がなくても、自由気ままに長屋の前でくるんと丸まっているのが幸せなのかもしれない。

END